昨日、東日本大震災から二年が経ちました。
ちょうどあの日、私は店舗間デリバリーのために車を走らせていました。走行中の異常な挙動に、思わず道路のド真ん中に車を止めてしまいました。
車は悪路を爆走しているかのように大きく揺れ、辺りの電信柱は折れんばかりに左右に揺れていました。
歩行者は立っていることができず、その場でしゃがみ込んでいました。
大きな揺れは1分以上続いていたでしょうか。揺れがおさまっても しばらくの間動き出すことができませんでした。
その後鉄道は止まり、幹線道路は大渋滞。
日が暮れていくにつれ交通網は大混乱に陥り、都心から自宅へ帰る人たちの歩く行列が深夜になっても続いていました。
その後鉄道は止まり、幹線道路は大渋滞。
日が暮れていくにつれ交通網は大混乱に陥り、都心から自宅へ帰る人たちの歩く行列が深夜になっても続いていました。
私はその異常な光景を目の当たりにして、東京も被災したのだと実感しました。
翌日になると電池やミネラルウォーター、カップラーメンやティッシュペーパーなどが店頭から姿を消しました。
そしてガソリンスタンドに並ぶ車の行列。たった5リッターのガソリンを入れるのに1時間以上も待たされる有様。
福島第二原発の事故が発生!
衝撃が走ったと同時に、深刻な電力不足に陥りました。
当店も照明を半分にして、車の使用も店舗間を日に三往復までと決め、出来る限り自転車を使用しました。
本当に必要としている人にエネルギーを回そうと全員で決めたのです。
そんな状態が約1ヶ月続きました。
そんな状態が約1ヶ月続きました。
あの日の東京も、九段会館で落下した天井板の下敷きになって命を落とされた方がおられたのです。
東北のあの惨状はもちろん、あの日尊い命を落とされた方が他にもたくさんおられることを決して忘れてはいけません!
そして、教訓にしていかなくてはいけないのだと思うのです。
そして、教訓にしていかなくてはいけないのだと思うのです。
いつの日か来るであろう首都直下型大地震の備えも!